イデア

抽象的で散漫な文章になってしまいそうなんですけどね、日頃からただ漠然と頭の中で考えてたことを書き殴ってみたいと思います。人は他人のどこに美的価値または存在価値を見出すのか?ぶっちゃければ我がまま無責任私的プロデュース論なんですけどw
今現在情報の多くはマスメディアを通して私達の元へ届けられますがそこで初めて自分の趣向に合わせて拾い上げたり切り捨てたりして選別していきます。その例に漏れずお気に入りのアーティストも人それぞれ違うはずです。人によってはファーストインパクトであったり、あるいは段階を経ていつしか脳裏に刻み込まれ気付いたら自分から意識してアーティストと向き合っている場合もあります。どちらでもいいんですけど大衆がそのアーティストに何を期待して追い続けるのか。範囲を狭めたいのでここではテレビやライブで歌っているミュージシャン(含むアイドル歌手w)を対象にさせてください
曲、ライブパフォーマンス、生き様、容姿と共感する部分は人それぞれだと思いますが一番肝心なのはやはり曲でしょう。ヒット曲によってそのミュージシャンが世間に知れ渡ったとするならば一般大衆が抱く彼(彼女)らのイメージの7割方はその曲または曲調によって印象付けられるのではないでしょうか。そこでプラトンイデア論ですw
以前「プラトニック・ラブ」という言葉だけが一人歩きしました。肉体的愛情表現の反対語としての精神的愛情表現みたいに語られているようですが真意は違うみたいですよ。簡単に書きますと愛を注ぐ対象は目の前に存在しうる性や物だけではなくまたエロスを感じた結果が性欲だけに繋がるという狭義な問題ではなく例えば「美」、さらには「善」や「真」を求める、その魂の注入手段が「愛」らしいです。つまり「プラトニック・ラブ」とは広義的な意味合いで人間の良心に頼った愛情活動と言えばいいんでしょうか?上手く書けなくてスイマセン
ソクラテスの弟子であったプラトン著述「イデア論」を簡単に説明する能力は私にはありませんw哲学の教授は好きでしたが授業内容はほとんど記憶にありませんのでたぶん熟睡していたと思います。ただ頭の片隅にこの言葉だけは何故か残っていました。今回少しだけ資料を読んで私なりに解釈した結果を書きますので参考にはなりませんのでw今日の日記を書くために都合よく解釈したと思っていただいて結構です
物にはすべて永続的、潜在的、普遍的な理想というものがあります。理想と記述すると誤解を生む可能性があるので例えば「美」。「美」は「美」以外の何者でもなく「美しい女性」とは区別して考えなくてはいけません。「美しい女性」は趣向の違う他人から見れば「美しい女性」ではないかもしれない、時間の経過とともに「美しい女性」ではなくなるかもしれない、顔が「美しい女性」であってもプロポーションは「美しい女性」ではないかもしれない(少し差別発言っぽくなったのは許してください)。しかし「美」という概念はそれらの影響をまったく受けないものですべての「美しいもの」の頂点に立ち決して誰も触れることはできないものなのです
>魂は肉体と絶縁して、できうる限り自己自身の機能を発揮しなくてはならぬ(アリストテレス解釈者G. E. R. Loyd)
真存在と派生的な存在を区別することによって最終的には上記のように道徳的な結論を導きだしています。つまり本物に少しでも近づきたかったら勉強しろよ、ということですねw
さて、疲れたので続きは明日書きますw