今日発売の2曲を聴いて思ったこと

ハロプロに限らずファンなら誰しも自分が追っかけている歌手には「誰々が歌ってヒットした何々のような曲を歌ってくれたらいいなぁ」という願望ありますよね?さらに衣装やステージセットも予想通りだったらこんなに嬉しいことはありません。もちろんファンは1人ずつ違ったイメージを抱いてるのは仕方のないことですが、その最少公倍数を求めてからその歌手をプロデュースしてあげることって最低限のやさしさだと今でも思っています。作る側がそういった要望を意識しつつ、まったく逆の展開をするのと、ファンの要望を意識せずに違った型にはめ込むのとではファンの捉え方も違ってくるのではないかなと思うんですよね。以前の日記id:campariorange:20040131で理屈っぽく書いたようなことなんですが今日発売されたダブルユー恋のフーガ』とメロン記念日『肉体は正直なEROS』を聴いて(買って聴いたわけではないけど)改めて思いました。私の結論から言うとどちらともズレてるんじゃないかなと
2組とも前曲が素晴らしかったという相対的な感覚もあるのかも知れませんが特にダブルユーは前2曲の軽快なロリポップ路線を軌道に乗せてきた(売上は別にして)のにココへ来てカバーを望んでいたファンが果たして何割いるのかな?と私のような立場で見ているものは思うわけですよ。ただ業界の慣例手法に従ってバーターの犠牲になってしまうことも多々あるだろうとは思いますし、そういう柵(しがらみ)は避けては通れないもの
例えばあややの去年から今年にかけての一年間のシングルを振り返って下さい。それまではおへそを出して笑顔で踊って力強く歌うことこそ松浦亜弥でありアルバムを手にしない限り、せつせつと歌い上げる彼女は想像できなかったわけです。去年から今年にかけての1年はそのイメージを払拭することに挑戦した1年。今後もずっと第一線で活躍する為にはアイドルがアイドルである為の表現方法を捨て、新しい松浦亜弥を育てようという意志をそこに私達は感じ取ることができたわけです。その意志さえ伝わればファンも安心して見守れるんですよね。この「プロデュースする側の意志」を私達が感じれる取れるように明確に提示することがものすごく大切だと思うわけですよ。そういった意志が今回の2組の曲からは感じ取れないわけです。何故カバーなのか何故『シャンパンの恋』のような肩の凝らない歌謡曲路線を継続することができないのか。楽曲によって売上がほとんど変動しないのがハロプロの強みなわけで、どちらのユニットも固定ファンがついてる今こそ彼女達のイメージを増幅させてあげれるような路線を辛抱強く与えて上げてほしいなと思います。これは私から見た個人的な意見でまた違った目線もあるのでしょうが「今後どういう方向に持っていきたの?」と考えているファンは結構多いのではないかなと