モーニング娘。新曲『涙のとまらない放課後』

コンサ音源を拾ってしまったからには「俺にも一言書かせろや!」的な自己顕示欲がメラメラと燃え上がってしまいました
つんく♂ていうおっさんがアイドルおたくだったのは彼自身も雑誌等で告白しているように事実。彼のハロプロワークスにおいても当然そんな一面が投影されるはずで、良くも悪くも私達はそれに翻弄されることを楽しんでいるわけです。しかし今や彼の趣味ですべてを染めきれるほど小さなプロジェクトでもなく、多方面からの要望に折り合いをつけつつもソフトランディングを目指す。これがいまの全体像ではないかなと勝手に思っています
さらに、モーニング娘。の魅力って一言で言えば「やらされている感」。決して今っぽくないダンスを踊りながらストレート過ぎて赤面してしまいそうな歌詞を真顔で歌わされる。この見世物小屋的な楽しさが良い緊張感を生み、それがやがて期待感となってファンを獲得していく、というのが初期の戦略としてあったのではないかと思います。それをドキュメントっぽく仕上げたのがASAYANですよね。ただ最近は無難な楽曲が増え、倦怠期を迎えていた感じに思えるのも事実です
ずばり、今回の曲は原点回帰。いまさらオブラートに包んでも仕方ありませんのではっきり言うと今回の4人のうち3人は歌下手。道重さんに至っては相当アレなように聴こえました。でもね、この4人は「やらされている感」を表現させれば抜群のポテンシャルを発揮するような気がするんですよね。彼女達が意識してやっているかステージ上から滲み出てくるかはこのさい問題ではありません。いろんな修羅場をくぐって来た石川さんと藤本さんとあとの二人ではその表現方法は相反するものかもしれません。しかしながら今回の新曲のコンセンプトみたいなものがあるとするならば4人で均等なバランスを維持できるベストメンバーなのかもしれません
自分達から「愛を届ける」という気持ちを込めつつファンの前で歌うのではなくて、「愛を届けろ!」と事務所からの指示に従って歌わされている、これこそが正真正銘のアイドル。「愛を届ける」行為を自発的に行なってはそのへんにゴロゴロいるミュージシャンと差別化できませんからね
80年代アイドルって決して歌がうまいわけでも、ダンスにキレがあったわけでもないのに多くのファンから絶大な支持を得ていました。それはこの「やらされている感」を無意識のうちに放出し、ファンが「俺が(私が)彼女を(彼を)魂の牢獄から救い出さねば」と勝手に思い込んでいたという側面もあるのだと思います。ここから進化して自分からメッセージ性を前面に打ち出したように演出してさらに売れてしまった小泉今日子さん。このあたりの分析は絶対アップフロントは得意なはず。それは森高千里さんで証明しています。で、今回はそれに対するアンチテーゼとして「やらされている感」を演出するという画期的なプロデュース。ただ原点に立ち返った「やらされている感」ではなく、不安定なボーカルを敢えて人選することによる真剣勝負の「やらされている感」。80年代と違うところはクリエイト側が意識してやっているかいないかの差。などと1人で妄想してみました
たったあれだけの音源ではこれ以上の妄想は無理ですのでラジオでの初オンエアーまで期待して待つことにしたいと思います。ただ私がこの曲を好きになれるかどうかはまた別w